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感情的に見える人も実は合理的に判断して行動しているという話

できる限り合理的に判断して行動したいが、ついつい感情を優先して、なかなかクールにできないのだという話をよく聞く。

 

こういう文脈では、理性的で賢い人(情報強者)と、感情的な愚かな人(情報弱者)という単純な対比、

ネットらしい単純な勝ち負け、白か黒かで語られることが多いのだが、

実はこれは誤りであり、理性的に見える人も感情的に見える人も合理的に判断して行動している、的なことを橘令が言っていた。

 

(論理合理的)

合理的というと、論理的、科学的、経済的にとにかく客観的に再現性のある状態で合理的に判断するということをいうが、

実はこれは論理合理的という一つの合理性でしかない。これ以外にも、さまざまな合理的行動が存在する。

 

(文化合理的)

特定の文化圏では合理的な行動である文化合理的な行動は、特定のムラでしか通用しないが、そのムラでは極めて有効に機能する。

戦時中や中世の歴史を見ると、現代の尺度からしたら非合理に見える行動も、合理的であったということはよくある。

現代でもワンマン企業で、誰も不正を指摘しない、監査人さえも見逃すと言った非合理的行動は、文化合理的な行動である。

 

(精神合理的)

文化合理的なのはムラ、会社、学校、宗教などの共同体に囚われるからだが、ここから逃れて縛りのない自由な思想を持っていても、自分の精神的合理性からは逃れられない。

つまり、精神的にラクな行動、ストレスを軽減する行動を合理的に選択するということである。

論理的にはおかしいとしても、自分として精神的な負荷が減り、幸福度が高まる行動をとるのである。

 

(住宅ローンの例)

住宅ローンの話では、「なぜこんなに金利が低いのに頭金を入れたり繰り上げ返済するのか」「なぜ変動金利を選ばないのか」という経済合理的な話が多い。

確かに、頭金を入れずに運用した方が良いように思われるし、固定金利より変動金利にした方が金銭的には得するように思われる。

しかし、これについても精神合理的な行動ではない場合がある。

多くのローンを抱えること自体(例えば、巨額の預金があっても、毎月の支払額が給与で賄えないとか、カツカツになること)が精神的なストレスになる人や、金利や返済額がチカチカ変動することが嫌な人は、ストレスを減らす方向に合理的に行動する。

これにより、金銭的に多少損だとしても、精神的なストレスが軽減され、QOLが高まる。これはこれでその人にとっては合理的な選択と言えるのだ。

それに対して、「頭金入れたり、繰上げ返済するなんて金銭的に損だろ」と言ったところで余計なお世話である。

 

(証券投資の例)

証券投資の話では、さらにこの論理と感情の差が激しく出る。まず、金利が低いのだから繰上げ返済せずに証券投資でもすればいい(長い目で見れば勝ち目が多い)ということだが、

そもそも、証券投資は毎日残高が上下する不安定な状態になるし、含み損が大きくなるとイライラしたり不安になったりする。

人間は、評価損を評価益の数倍の痛みに感じるという理論がよく言われるが、そうでなくても、多くの人は気になってしまう。

また、評価益が出るとまだ上がると思ってもすぐ利食いしてしまい、評価損が出るともう上がらないと思っているのにズルズル保有して傷を広げてしまうというものがある。

これは、利益を逸するとか損失を確定するという精神的な痛みを避けたいという精神合理的な行動である。

論理的に非合理に見える行動でも、多くの場合、精神理的な行動であるということ。

また、実際に、金銭的には損を出したとしても、ポジションを閉じた時の清々した感じは実際に発生しているのである。

 

(携帯キャリアの例)

ぼくはずっと前に海外から日本に帰国した際に携帯キャリアで契約しようと思ったらMNPに比べて条件が悪すぎたのと、料金が複雑すぎるのに呆れてMVNOを契約している。

金銭的な損得を考えればキャリアのキャンペーンを利用してMNPを繰り返すのが最も特になることが多い。同じiPhoneを使うのだから安い方が正義である。

が、前述の通り、ぼくは複雑で頻繁に変わる大手キャリアの料金プランが大嫌いで、考えるのが負担だったので、多少損したとしてもSIMフリー端末を現金買いしている。

キャリアの複雑怪奇な料金プランを気にすることなく、シンプルな料金体系で使った分だけ払うことで、スッキリして精神衛生上良く、満足してお金を払っている。

ぼくにとっては合理的な行動だと言える。

 

(論理的に行動した方が良いが、病んでしまっては本末転倒)

多くの人は論理的なようでいて、実は文化合理的、精神合理的に行動しがちである。

あらゆることに論理的な人はおらず、ある分野については極めて論理的なのに、ある分野には弱い、こだわりがないなどの特徴がある。

この前提では、できる限り論理的に行動するだけで、他の人を出し抜くことができるので、それを目指そうぜと橘令が言っていた。

 

そりゃそうだが、一方で、論理合理性を優先して失敗するケースもある。

よく見かけるのが、過剰なポジションをとってしまって夜も眠れなくなるようになってしまう人、つまり、自分のリスク許容度や精神的な特徴を理解していないということ。

そして、実際に株を買ってみるとわかるのだが、自分のリスク許容度は論理的に考えたリスク許容度よりもかなり小さいということである。

 

また、そもそも日々変動するものに対して人間は過剰に反応するようにできている。これは、人間が動物であり、動物は環境の変化に気が付かないと脅威に気付けずに死んでしまうからである。この変化への反応は強い人と鈍感な人と、そもそも変化すること自体が許せない人がいる。

 

この点で、多くの債務を抱えて投資をする(つまり、大きな借金をして、半分転売目的で億ションを買う)とか、リスク許容度を超えて証券投資をすると精神的に負荷がかかって病んでしまうということに注意したい。将来、大きな利益が出たとしても、今、精神的に疲れ果ててしまってはQOLを悪化させる。

 

(まとめ)

感情的に行動しているように見える人間は、実は文化合理的、精神合理的に判断して行動していることが多い。基本的には、論理合理的、経済合理的に判断して行動したほうが金銭的な損得でいえば得することが多い。それでも、精神的な損得、QOLという尺度では、経済合理的行動が必ずしも合理的だということもないのである。そしてリスク許容度が低い人に対して、「なぜ経済合理的な行動を取らないのか?(アホなのか?」というのは余計なお世話もいいところであることにも注意すべきである。「こういうのが経済合理的ですよ」というのはセーフだが、「なぜ、お前は経済合理的な行動をとらんのか?」は、相手が他の尺度を重視していることに気づいてないのである。