湾岸タワマンに対する期待
ぼくは湾岸タワマンに住んでいるが、湾岸タワマンは未来の標準的住宅の姿だと思ってきた。
日本の人口が減ることは確定しており、人口が減れば税収が落ちるので、効率的に税金を使って、社会を維持していく必要がある。
タワマンは一棟が一つの村なので、インフラの維持が効率化できる。ゴミ回収も一ヶ所、電気や水道の接続口も一ヶ所である。行政サービスを下げずにコストを下げられる。
また、労働人口が減る中で共働き化が進んでおり、職住近接による通勤負荷の低減という点でも、駅に近い限られた土地を高度に利用して大量の住宅を生み出すタワマンは適している。
アベノミクス前の湾岸タワマンは価格も安く、専有面積も広く、共用施設も豊富で、維持費も安かった。十分に子育てができる広さ、品質、価格であった。
湾岸タワマンは価格が安い割に広く、職場に近いので共働きで子育てをする上での強い味方になってくれた時期があった。
供給数も多く、一つのエリアでも複数の選択肢が常にあった。若い田舎出身者がたくさん流入してきて、タワマンは未来の標準的な住居になるだろうと思った。
さらに、湾岸タワマンを実験台にして、郊外や地方都市に標準的なリーマン向けのタワマンが供給され、標準的な家庭の住宅を変えていくだろうとワクワクした。
未来の都市は高層化して住宅は広く、空地も多く、道も広々として、自動運転車や電動キックボードで移動する・・・そんなイメージを持っていた。
アベノミクス下の狭小高価格化
ところが、アベノミクスによりマンションの価格が高騰していく中で、グロス価格を抑えるために、マンションのスペックダウンが進んだ。
多くのマンションで専有面積は削られ、価格は高騰し、共用部の余裕はなくなり、おまけに維持費は高騰した。
湾岸タワマンも例外ではなく、専有面積はどんどん縮小された。アベノミクス前に大量にあった80平米以上の安めの中住戸は消滅し、70平米前後の狭小3LDKが量産された。
最近では、80平米以上の部屋はすべて角部屋かプレミアム部屋となり、ほとんどが億ションとなった。
デベロッパーは露骨に購買力上限値付けをしたため、多くのエリアで賃料に見合わない価格になり利回りは低下した。
それでも、共働きをする上で通勤時間の短縮は必要なのでペアローンで買う人がおり、金利の低下により購買力が上がったので狭小高価格化傾向が加速した。
供給減少に伴う価格高騰に目をつけた新築マンション転売屋も跋扈し、モデルルームは予約が取れなくなった。転売屋だろうと買ってくれればいい、あとの事は知らん。
デベロッパーの収益最大化としては正しい判断だが、供給を絞って客を選んだこと(ますを外したこと)によって都心以外の実需タワマンでさえ投機の対象となりバブル化し、もはや湾岸タワマンは標準的な家庭のものではなくなった。
湾岸タワマンは若者のものではなく、中年のものになった。高収入、高資産でなければ十分な広さの物件は買えなくなった。
ほとんどの人にとってどうでもいい存在になった湾岸タワマン
十分な広さの湾岸タワマンが買えるのは僅かな人だけであり、大勢に影響を与えないものとなった。ほとんどの人には関係ない、どうでもいい存在になった。
おっさんだけがキャッキャして、買い替えようかしら、割安な住戸はどこかしら、細部の仕様がどうのとやっているのを見るのは見苦しい。
これ、金持ちのおっさんが何千万円もする外車のSUVの新型のスペックがどうのと語っているのと被る。つまり、ほとんどの人にとってどうでもいい。
湾岸タワマンが標準的な世帯の住環境を改善し社会を変えることを期待していたぼくとしては、湾岸タワマンがどうでもいい存在になり、中年おっさんが群がっている現状は残念である。
湾岸タワマンが標準的な住宅を改善する希望は無くなったが、人口減少も共働き化も止まらない。
高価格化に伴って住宅の品質はどんどん劣化している。都市を高層化するという動きはゆっくり局所的にしか進まず、社会変化の早さを考えれば、別の方法による変化を模索するしかない。
郊外回帰の流れ
元々、湾岸タワマンが注目されたのは、職場に近い割に広くて安いということだった。そこに地歴や地ぐらいにこだわりのない田舎出身の若者たちが住みだした。
広大で何もなかった埋立地は若者のフロンティアであった。
5000−6000万円くらいで80−90平米くらいの3LDKが買えたので、郊外マンションや戸建てと同水準であり、標準的な世帯の若者が住めて、頑張れば車を持つこともできた。
ところが、その後の狭小高価格化によって、3LDKは7000万円の壁を突破、面積も80−90平米主流から70平米代が主流になった。
今や4人居住が可能な3LDKで1億円前後になっており、金のある限界中年おっさんとマンション転売屋がモデルルームに群がっている。
中年おっさん同士が札束で殴り合う場所になっており地獄のような状況だが、それでも毎日通勤する人にとっては実用品としてもギリギリ魅力は残っている。
一方で、在宅勤務が定着して通勤頻度が落ちている層にとっては、大して効用のない通勤時間短縮の対価が上昇して我慢ならなくなってきた。
最近、郊外マンションや広い戸建てへ転居した人と話をすると、「都内の方が資産価値が高いからトータルでは住居費が安いことはわかるけど、そのために居住中、狭い住宅や高い固定費を我慢するのが嫌だった。都内で4LDKマンションや100平米以上の戸建てはほとんどない。」という感じのことを言う人が多い。
「金のない人から郊外に押し出される」と主張する品のないオッサンがいるが、郊外に出る人は「結果的に高い住居費を負担してもいいから、より良い居住体験(広さや環境)を取りたい」という考え方であり、むしろ金のない人ほど資産価値を重視して居住体験の劣る都心部に残らなければならない。
湾岸タワマンは一時期、都心に近い郊外として魅力があったので郊外ではなく湾岸タワマンに住むという層がいたが、アベノミクスで湾岸タワマンが狭小高価格化して魅力が削がれた結果、より良い環境を目指して郊外へ転居するという本来の郊外回帰の流れに戻ったということである。
別に変な動きではなく、DINKS時代は通勤に便利な高くて狭い都心部に住むが、子育てのために広くて安くて環境の良い郊外へ転居するという流れは一般的であろう。むしろ、資産価値のために、最も広い住宅や公園が必要な子育て中に、都心近くで耐えるという方が不自然である。
在宅勤務の広がり
コロナの中での大きな社会変化として、在宅勤務の定着がある。これは奇跡的なものであった。
在宅勤務は社内や社外が一斉に行わないと効率が落ち、出社した方が効率的になるため、なかなか浸透しないものである。
ところが、コロナで大企業が一斉に在宅勤務をしたことで、むしろ在宅勤務の方が生産性が上がるようになった。
社内とも社外とも、あっという間にオンラインミーティングが実施できる。ズームかチームスかウェブエックスのいずれも入れていない大企業はない。
以前なら、移動時間を考慮してアポイントメントを取り、面談のための会議室を取り、場合によっては席次をつくったり、プロジェクターを設置したり、資料を印刷したり、電話会議が使える部屋をとったりしなければならなかったところ、自宅からでも出先からでも会社からでも一発でミーティングに参加できるようになった。
また、海外でも在宅勤務をしているので、簡単に海外とのミーティングを行うことができるようになった。海外出張をしていたから1週間以上かかった仕事が1日でできてしまう。
もちろん、在宅勤務は万能ではないが個々人がプロとして役割分担して専門性を発揮するようなケース、組織同士で調整するようなケースにおいては効率が大幅に改善した。
もともと、日本では在宅勤務を導入していた会社でも、育児や介護などをしている社員のみしか使っていないという実態が多かったが、コロナにより、普通の社員が在宅勤務をするようになった。
さらに、コロナ禍が長引いたことで、在宅勤務を実施する期間も長くなり、メリットが広く理解された。コロナが収束した後も、育児介護だけの制度にはできなくなり、普通の人が在宅勤務をする前提で、どのように働く場所を変化させていくのかという議論になっている。
環境が変化していく中で、「コロナが終わったら全てを元に戻す」という議論になりづらく、また、そもそもコロナは根絶することはできない以上、普通に考えれば大企業では全社員、週に2日程度の在宅勤務が定着していくのではないか。
希望は残されている
都心の狭いオフィスに全社員が集まって対面で仕事をするスタイルにはもう戻らないとは思うが、かといって、都心のオフィスを完全に廃止することもないだろう。
都心のオフィスが残されて毎日通勤しなければならない場合、それでも、通勤時間を短縮できる都心部の狭小高価格マンションに住む方がいいだろう。
居住中の住環境や固定費には我慢が必要だが、トータルの住宅コストは低くなるという希望がある。(また、生活を成り立たせる上でも必要)
夫婦ともに在宅勤務ができ、子育て中であれば、大抵の場合は郊外の広々とした住環境を求めるのがいいだろう。
トータルの住宅コストは高いが、居住体験は素晴らしく、さらに在宅勤務が定着すれば、通勤負荷が低減するという希望がある。
東京への消耗が我慢ならないレベルになってきているが、いずれの場合でも、まだ希望は残されているとぼくは考えている。